凸凹デイズ

山本幸久さんの凸凹デイズ (文春文庫 や 42-1)凸凹デイズ[rakuten]を読んだ。

小さな小さなデザイン会社に大口の仕事がまいこんでくる。ただし、ともにコンペで最後まで残った、いわばライバル関係にあった会社と組むことが条件。日々の仕事には困らっていないものの、ちょうど割いた時間分だけの儲しか出せない状況にある。その状況を打開できるかもしれない話でもあるのだが。

このデザイン会社「凹組」は開業して10年ほどの会社。開業時のメンバーである二人、まとめ役の大滝と天才肌の黒川は30代の男性。それにまだまだ新米の女性デザイナーの凪海を加えた三人が全人員。そんな「凹組」の、これまでの10年と、これからを描いていく。

テーマは働くこと。仕事をしていく上ではいろいろあるよねってなところを、ある程度は経験を積んだ大滝たちと、まだこれからの凪海が乗り越えていく。実際には三者三様であって、三人の間にすらいろいろな事情が交錯する。

私自身、デザイン会社のようなもろにアーティスティックなものではなのだけれど、わずか数人の会社で仕事をしていることもあって、読み進めながらわりといろんなことを考えたように思う。

働き方というのか、仕事に対する接し方は人それぞれで、「凹組」の三人もそれぞれ。悩みや迷いもそれぞれなわけだけれども、読んでいて思ったのは、なぜそこでその仕事をそのようなやり方でしているのかっていうところに一つの焦点があるのかなということ。

私は居場所の確保なのかなと時々思うことがある。広い意味での仕事をするのは、ある「場」を占有するための代価かもしれないと。社会貢献とか奉仕とかっていうのではなくて、民法的な(といいつつ用語は間違っていそうだけれども)占有の既成事実化のための何か。常にそう考えているわけでもなさそうなのだけど、そう考えているときっていうのは、いわゆる「仕事人間」になっているのかしらと今ちょっと考え込んでしまった。仕事に限らず行為はだいたいそういうものなのかも。

その一方で、というか、その上でというか、やった仕事には満足したいというのも、これはわりと常にあって、ただ、なかなかそうはできないところ(自分や状況…… まあだいたいは自分自身)にイラついたりもする。ま、そんなことを考えつつ、それとは別に異業種の人と仕事ができるのはうらやましいなあとか、やっぱカメラ欲しいなあとか、単純にそんなことを思ったりもした。

結局のところ、どうだったかというと、やや甘めな展開もありつつ、ベースはちょっとシビアで、それでもって仕事が楽しそうでうらやましくて、なかなか良かったかな。