プール
松久淳さん、田中渉さんによるプール[rakuten]を読んだ。
他書に見られるコミカルな調子はなく、かといって重苦しいというのでもなく、淡々と日常が切り出されていく。そんな日常に割り込んできた一通の手紙。差出人も宛名も不明。伝えたいことがあるが、今はまだ書けないという内容。手紙はその後もぽつりぽつりと届き、少しずつ具体的になっていく。宛てられたのはいつも集まるメンバーの誰か。
一人の人が占める場所と、その場所で為すことは何か。ネットワークのどこに位置し、どのように自己を発揮していくかといったことを考えはじめると、とりとめがなくなって発散するか、逆に陥穽に陥るような堂々巡りになってしまいがち。そういう、どこに自己を確立するかといった考え方ではなく、すでに組み込まれているネットワークの中の複雑な相互作用の中で醸成された私のための場所を見直し、その中で成すべきことを為す、そういう捉え方もあり得るだな、と、そんなことを思った。アフォーダンスっぽい(いや違うかも)。
物語の中の人々はそれぞれに居場所を求めているように思える。そのように描写されてもいると思う。だが、彼らの言動は探し求めるというよりも、どこかを目指すようなものであって、物語の中で直接的には描写されないものも含め、相互に関係し合うそれらベクトルの複雑さを楽しめるような気がしてくる。
物語は大人たちの日常と、ある二人の高校生の日々からなる。その接点が要であるのだが、それはともかくとして。高校生の日々を読んでいくにつれ、振り返ってやり残した感がひどくせまってくる。
ただ、改めて向き直ってみると、まあ、身びいきかもしれないものの、それなりの時を過ごしたのかなとそんな風にも思えてきた。つまり、描かれた物語のようではないにせよ、また、特異なところはそうなかったにせよ、その中で経験してきたことがあるのだなと。
身びいきというか、感傷かしら。