生きるための経済学
読んだんだけど、消化できていない。言わんとすることは何となくは分かるのだけど、説明に含まれる飛躍になかなか着いていけていない。たしか「創発」についての解説を求めて入手したものだったのだが、そちらの理解が進んだかというとこれもあやしい。
というのもこの本の中では、「創発」は説明できないし科学的やり方で解析も出来ない、解析できるのは「協同現象」という別のものであるとされている(109ページ)。よって「協同現象」でない何かという形で把握することになるわけだが、そちらはそちらで語彙にないものなので、もう一つ進まないということになる。
しかも「協同現象」の例として上げられている水分子の対流が、興味の発端となった「エコロジカル・マインンド」では「創発」の例として扱われていたような気がしたぞ…… ということもあり。まあ、これは後で確認してみよう。
で、この本自体の内容はというと、まあ、理解が今ひとつなのでうまくまとめることはできそうにないのだけど、経済学への不信感を出発地点として、西欧的思想における「自由」という概念が指しているのは「選択の自由」であるのだが、その概念自体に欺瞞が組み込まれているため、「選択」に対する「責任」などとして社会が求める姿でいることを強制される危険性が高い状態にわれわれはおかれているとする。このような環境では創発をともなうコミュニケーションは困難であり、代わって虚栄が栄える。虚栄は何物も生み出さず、今ある物を奪い合うだけである。では、この状況は何がまずくって、何を変えれば改善できるのだろうか、といった内容だと思う。
扱われる話題はそれなりに広いので、素養に欠ける私には関係性を把握するのもちょっと難しい。それぞれのトピックには示唆的な記述がいろいろあるように思うのだけれども、それらの結合がうまくいかない。そういった感じ。ただ、そうであるとは言っても、もう一段理解を進められないものかと考えてみたりはしてしまうという点で、刺激を得られる本であったと思う。また読み返してみたい。
最後に印象に残ったところを。ここだけ抜き出すと意味を取りにくいというか、印象を違えてしまうかもしれないのだけど、「『魂がこもっている』というのは手続き的計算によって表面をとりつくろったのではなく、創発的計算によって計算量爆発を乗り越えた深い計算量によって処理された、という意味である」(136ページ)という表現は、ごく感覚的にだが分かるような気がした。(そして、「妙なる技の乙女たち」の「アーマート」のトピックを思い浮かべた。)