この本が、世界に存在することに(続き)
角田光代さんのこの本が、世界に存在することに[rakuten]を読み終えた。先日は別のことを言ったが、すべて読んでみた中では「ミツザワ書店」が最も良かった。良かったというのはストーリーに感動したというよりも、最もその場を実感できたような気がするというか、最もそこにいる気になれたというか、そういうところでのこと。
以下、個人的な、ぐだぐだな、思い出。
書店といえば、覚えている限り、最初の書店体験は駅前のすごく小さな書店だった。駅前なので雑誌やまんががほとんど。小学生の低学年かそこらだったと思うのでよくは覚えてないが、きっと回転の良いものがメインだったのではないかと思う。むろんそこに行っていた目的はまんがの立ち読み。
客商売をしていたために雑誌をとっていたためか、単にそういう方針だったせいか、何時間立ち読みしていても怒ったり、邪魔そうにしたりということもなかったので、文字通り毎日のように行っていた。今はもうないこの書店で読み切ったまんがはかなり数になった。もっとも、それでなおまんがを買って(もらって)いたのだけど。何にせよ、今なお書店に入れば長居するものだという気分になるのはこのころの影響もあるのだろうと思う。
小学生のころ、児童小説的なものを読んだりするようになったが、それからすぐ後にまんが以外の本を嫌いになり、再びまんが以外の本も読むようになったときには高校生になっていた。きっかけは覚えてないないけど、リフトウォー、エルリック、あと多分ザンスとかの早川文庫をまとめ書い、いっき読みしたあたりから読書の習慣が付いた。当時、書店で手提げ袋をもらうなんて想像を越えたことで、気恥ずかしい思いをしたのを覚えている(米子の商店街の今井書店だった)。みょうにすまして帰宅したような気もする。
本の読み方、買い方は今もそれほど変わっていないかもしれない。基本的に好きな本しか読まないし。当時やらなかったことと言えば、気になる本をネットで知るようになり、目に付いた本の評判をネットで調べてみるようになったこと。でも、今だにふっと手にとってしまうこともあるし、やっぱり書店に行くのは楽しいと思う。
今、主に行くのは「この本が〜」の後書きにも出てくる有隣堂。今はダイヤモンド地下街と横浜ルミネにあってジョイナスにはないが、以前はジョイナスにもあったんだろうか。後書きで有隣堂という文字列を見付けたときには、ちょっとうれしくなったりした。本を介した人々のつながりを描いた話が並ぶなか、書店を介して細いながらもつながりを見付けたような気がして。
こうして思い返していて、ふと気付いた。あの田舎の駅前書店に、あの当時アップルシードがあったのは大変な出会いだったんじゃなかろうか(でも手元にある第一巻は1988年の23刷とかだなあ。もう人気は出てたのかも)。それ以来ずっと好きなんだけど、続きはもう描かれないのだろうなあ。