自分の小さな「箱」から脱出する方法
自分の小さな「箱」から脱出する方法[rakuten]という本を読んでいる。
たとえば、あるとき「○○したほうが良いかな」と思ったとする。そのときに「でも、眠いからやんない」「めんどくさいから誰かやってよ」なんて、つい考えてしまって見送った。つい考えたのは一瞬のこと。続いて「△△の作業のほうが重要で、こっちを先にやらなければならないから」「明日の仕事は早くからあるから今は寝ておくことが優先」といった理由を作り出す。でも「○○」はしなきゃなんないから、「誰かやってくれよ」あるいは「◇◇は、何でやっておかなかったんだ」といった方向に転がっていく。
最初の「○○をしなきゃ」というのが自発的で主観的に正しいことであったとき、それに背く行動をとってしまうと、とたんに保身にまわり、背いた自分の行動の正当化をしはじめる。関心の焦点は「○○」から「自分」に移り、「○○」のことはそっちのけで「自分」のとった「行動」が主観的に正しくあり続けられるよう、継続的に燃料を投下するようになる。ここで燃料というのは保身からくる他者への攻撃であり、程度が進むにつれ、他者のあらゆる言動を疑うようになる。
これが「箱」に入ってしまうケースの一例。「箱」から見た外界は、すべて自己正当化の燃料として消費される。また、いったん「箱」の中に入ってしまってから起こす言動はすべてにおいて無用のトゲを含んでおり、やがて他者までをも「箱」に閉じ込めようとすることにつながる。そこから先は負のスパイラルであり、どんな言動をもってしても(どんなテクニックを使っても)抜け出せなくなる。
さて、この「箱」の正体は何なのか。我々はどういうメカニズムで「箱」に入ってしまい、それによって自分と自分のまわりに何が起こるのか。「箱」に入り続けるとどうなるのか。抜け出す方法はないのか。そんなことを物語仕立てで解説している。
こう書いていくと、とっても当り前な感じがするのだけど、物語を通じて説明されるのが思った以上に(少なくとも自分にとっては)しみわたるような効果を出している。マニュアルではなくチュートリアル、かな。
どこかで「いいトシしてこんなこと」みたいなことは自分でも思ったりしたのだけど、物語の進行に応じてシームレスに自分の生活の中のシーンを誘起されてしまったりもしていて、読み終えるにはもう少し残っているのだけど、すでに得るところがあったと思える。
さて続きを。